日曜の朝にはYAMAHAに乗ろう

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カテゴリ:思い出のバイク( 18 )


2017年 06月 25日

思い出のバイク GX400SP

 久しぶりに昔話を書きます。

 ちょっとの間不調だったTX650も不調を脱し、今現在いつもの朝練で経験した事のない好燃費を立て続けに記録し、エンジン/ライダー共に気持ちよく走り回っています。昨日も朝走り始めに『気持ちいいなぁ』とニンマリしながら乗り続けましたが、その時にふと昔を思い出し、GX400SPに乗っていた頃憧れていたTX650に今乗って笑っている!と気付いたのです。
 原付免許の後に中型免許を取って、早生まれだったわたしは同級生の中には区別の無い二輪車免許を取ったやつさえいるのにうらやましいなぁと思いながら教習所に通ったものです。限定解除は信じられないほど難しい試験で、一体いつに成ったら取れるのだろうか?と半ば諦めていた10代終わりの頃でした。

 
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 通い始めた教習所の教習車はカワサキZ400Tの前のモデルRS400とホンダのCJ360Tでした。GR50やGT50でクラッチの使い方は判っていましたが、400ccクラスの重いバイクを動かすのはとても怖いものでした。一番初めに引き回しをした時にこんなに重いバイクを乗り回すことが出来るのか?と。昔の教習所なんて酷い所で、教官だって今に較べれば暴言は吐くし、怖かった。
 その教習車は散々転がされて傷だらけで、しかも整備不良で、セルモーターが付いていてもキック始動しか許してもらえなかったから、エンジンの始動性の良かったRS400は好きだった。そして初心者のわたしにも乗りやすかった。免許が取れたらはじめに買うバイクはRS400がいいかな?とも思っていた、そのときはもうZ400Tが出ていた(?)から中古しか無かったはずで。この頃からツイン好きは変わらなかった。
 このエンジンはZ400LTDの大ヒットでかなりの数が出て、長生きしましたが、今はちっとも目にしません。Z400LTDは格好良かったなぁ、このエンジンはエキパイが斜め前に出るから張りがあってとても格好良かったし、LTDにはとても似合っていた。

 
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 RS400のエンジンの形が好きだったけど、やはりその頃からのYAMAHA好きだったから自然とGX400に目が行った。しかし当時GXの不人気振りといったら、4メーカーで一番外していたんじゃないのかな?当時ヤマハはRD400、SR400、GX400がラインナップだったか。ホンダはホークⅡとホークⅢにGL400が出る頃、スズキが出たばかりのGS400、GT380、SP370もまだ売っていた。カワサキがZ400TとKH400で、Z400FXはもう少し先だったか。友人のCB350Four、CB400Fourにも乗せてもらったけど、重くて力の無いバイクだと思った(生意気にね)。KH400は五月蝿くて怖かった、SS350はもっと怖かった。GT380はGS400より重くて馴染めず、GS400は良く判らないなりにもDOHCってスゲェと思った(笑)。自分の周りには当時の400ccに乗っている連中が多かった。
 GXを選んだ一番の理由がXS650Specialが有ったから。650のバーチカルツインに対する憧れは今では想像できないくらいあった。650に乗るには限定解除しなくちゃいけなかったからかなりの難問で、夢のような話だった。だからその代償行為として同じメーカーの並列ツインに乗ろうと思ったんだ。
 GXのおとなしいデザイン(初期型の四角いのとは大違い)の割にはエンジンは良く回る180度クランクで、回転が上がると『カムに乗る』という表現がぴったりの快速バイクだった。見た目とは裏腹の性格だったんだ。
 自分とGX400SPが映っている写真がすぐに見つからずカタログの写真を使いますが、この時はスポークホイールのGX400とキャストホイールを履いたSPと二本立てだった。SPはタンクにラインが入るけど、素のGXはライン無しだった。キャストホイールの出始めだったので、キャストホイール専用のマニュアルが付属していた事を覚えている、乗り終ったらスポンジで優しく洗いましょうって書いてあった。
 GXでは関東周辺を良く走った、とにかく乗っているだけで楽しい時だったからひたすら走り距離は伸びた。20000kmほど乗ったあとどうしても欲しくなったSR400PSに乗り換えた。

 そして、冒頭のGX400を思い出した話に戻るのですが、このところ快調なTX650に乗っている時に当時のGX400のエンジンのフィーリングが蘇ってきた。GXの180度クランクの400とTXの360度クランクの650では全く共通性は無いのだけど、ブリブリと軽快に回るTXのエンジンを感じているとフヤケタ脳みその奥のほうからミドルツインの感触が蘇ってきて、GXに乗っていた頃のXSに対する憧れが再現し、今TXに乗っている幸せを感じたのです。

 
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 そもそも、650のヴァーチカルツインに乗りたいと思ったのはやはりこの小説のせいだったんです。彼のオートバイ、彼女の島。高校3年の時に友人が貸してくれて嵌まりこみ、さっそく自分でも一冊買ったんだ。角川のハードカバーのこの本は今では絶版ですが、角川文庫になるまでは空白期間があります。そして大切な事はハードカバーの内容は文庫版とは細かなところで違うと言う事です。初版の頃がマニアックな内容が多く、文庫版は一般的に改稿されています。コウがバイク便のアルバイトをする理由は『明るい明日のため』ではなくDUCATI 750Sを買うためなんです。ラストシーンのみんなで記念写真を撮るときの最後の台詞はまったく違って、読み終わったときの感触が違ってきます。のちの映画はとても良く出来ていましたし、W3の魅力はたっぷり反映されていましたね。
 そうなれば18歳のわたしがW3に乗りたいと憧れるのは当然の話で、W1S、W1SAと憧れましたが、何しろ免許が無いんだからどうしようもない。GXに乗って信州を走り回ったり、野沢温泉周辺を走ったり菅平へ行ってみたり。映画のロケ地の法師温泉を探したり。
 

 
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 公開された映画を見たときに驚きました。だって、コウが住んでいるボロアパートは新婚当時のわたしのアパートから300mも離れたいなかった場所だったのです。そんな撮影を夜にしているなんて全く知らなかったし、映画館の中でひっくり返りました。
 港区高輪の二本榎のバス通りの途中、赤門の妙福寺の横の細道を入った右側にあった古いアパートはもうとっくに跡形も無くなってしまいましたが、映画を見た後に何度も何度もその前を通ったものです。ここに(若き日の)竹内力と原田貴和子が来ていたのか!と。
 
 その後、限定解除をして大きなバイクに乗れるようになると、お決まりのパターンで外車に目が向いてしまい、ひと通りの外車めぐりを20年以上繰り返したある日、原点回帰の思いが湧き上がりGX750を手に入れたのです。原点回帰の話はこのブログの一番初めに書いてあります。GX750(改)は不慮の事故でつぶしてしまいましたが、GX750とTX650の二台体制で当時のYAMAHAを満喫する予定だったのです。そうそう、やはり大きいのに乗れるようになってから650のバーチカルツインに乗るならばYAMAHAの方に乗りたいと思うようになったのです。何度かW3などを乗ったのですが、どうしてもTXの方が自分に合っていると思い、なおかつXS-1に代表されるXS系ではなく自分のリアルタイムのTXの方かなと。いま少し、XS650Specialの初期型もいいなぁと思っています。

 
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 そうやって手に入れ、自分で機械を維持するようになって、そのバイクでロングツーリングに行く。途中の不調も何とかリカバリィして必ず帰ってくることが出来るようになった。どんなに普段気をつけていても出先での不調は防ぎきれないからね。
 快調のバーチカルツインの快音を聞きながらの未踏の地へのロングツーリングほどわたしを楽しませるものは有りません。毎年走っている東北を中心とした東日本ですらまだ未踏の地が多く、今年の夏もふらふらと出かけていくつもりです。最近日帰りのツーリングに出る回数が減ってしまったので、そのあたりも増やしてあげたいと思っています。

 GX400SPの話はほとんど無く、横道ばかりの話でした。失礼しました、GXと写っている写真を探してきます。



















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by gambaGX850 | 2017-06-25 10:19 | 思い出のバイク | Comments(16)
2017年 04月 01日

思い出のバイク BMW R100S

 思い出のバイク R100S

 YAMAHAの話が進展がないので困った時の昔話、思い出のバイクの話をさせてください。
前回GUZZIの話を書いたのですが、今回はOHVの二本サスのBMWの話です。この世界にもコアなファンがたくさんいらっしゃいますね。

 
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 私がいわゆる二本サスのBMWに乗ってみたいと思ったのは環境でしょうか。GUZZI 1000Sに乗っているときに(今もそのまま同じなんですが)毎週日曜日に集まるパーキングには古めのBMWの良く集まっていたのです。毎週のように二本サスを見ていると乗ってみたいなぁと思うものですよね。もちろん何度も試乗させてもらったこともありますし、ツーリング先で峠を走らせてもらったりもしました。
 GUZZIから1150GSに乗り換えてハイスピードツーリングの世界を楽しんでいた時にとにかくたくさん走ることに価値を見つけていたのですが、ちょっとスピードレンジを落として長い距離を走りたいなと思うようになり、そこで初めてOHV&二本サスのBMWが現実の選択肢として登場するのです。1150GSは持ったまま、BMWの二台体制で一年ほど過ごしました。

 
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 現実問題としてOHV・二本サスのBMWを選ぶとなると選択肢はかなり広いのです。それ以前のアールズフォークはまた別のカテゴリィですから、それ以降のいわゆる /5~/7 位まででしょうか。 R75/5は魅力的なバイクですが、魅力が有る分出物は少ないし、有ったとしても結構良い御値段。/6も車種を上手に選べば選択肢は広い、R90SやR100RSの初期型を外せば手が届く魅力的なモデルも多い。モノサスになる直前の最後の二本サスも狙い目ではあるけれど、だったらR100GSに乗りたかった。
 そんな中バイク仲間がR100Sを譲ってもいいよと声を掛けてくれた。細かなことを言えばR100Sにも前期型と後期型が有り、私が手に入れたのは/6面影をまだ残している前期型の100Sでした。前期型の簡単な違いを申せば、ATEのブレーキキャリパー(後期はBREMBO)、重めのフライホイール(後期は軽量バージョン、クラッチ板なども違う)を持ち先ほど言った古いタイプを引きずっているモデルでした。
 私にとって重いフライホイールは魅力でしたし、経験の無いATEのブレーキにもいじくってみたいという欲求も有りました。
 また、R100Sの『S』 にはR90Sという輝かしい実績を引っさげたスポーツモデルの先代がいたのですが、それとは直接較べる事ができない評価の『S』モデルなんですよ。900ccから1000ccに成った時に主役のフラッグシップはR100RSにバトンタッチされて、R100Sは同じエンジンを積む一段格下のモデルの雰囲気があるのです。でも、私にとって、ビキニカウルの付いた『S』 は手っ取り早くOHV・二本サスを経験するにはもってこいのモデルでした。ビキニカウルはすぐに外すつもりだったし、とにかく一杯走ることにお付き合いさせちゃえと。


 
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 ある程度の整備の入った100Sでしたが、乗り始めるとそれなりに不都合も出てきますし、手をいれずに安心して長い距離を走れる物ではなかったです。今も同じ毎週のように朝練で走り回るとそれなりに気になるところも出てくるのです。私はこの時期は全くOHVのBMWについては本以外の知識は持っていませんでしたから、初めての調整はマイスターと呼ばれるBMWのベテランメカニックにお願いしました、またずうずうしくも整備の途中で基本的な整備について質問し、快く答えていただけました。(今思うとその全ての答えは熟練しないと届かない世界の話で、私に話しても全く仕事に支障が出ないだろうと判断されていた感じもしますよ。笑)
 私が感じたエンジンの違和はポイントのヒールの減りに伴う点火時期の遅れに起因するものでした。ちょっと待って!これって先日のTX650に起きた事と同じじゃないか!実はこの時の経験がTX650の不調を点火系と疑った原点だったんですね。
 前期型の100Sはまだポイント点火でした、シングルポイントでしたが、点火タイミングは360度のTXと同じですから今でも時々クルージング時に100Sを思い出す回り方をするときがあるんですよ。この時のヒールの減りは調整では取りきれなくてポイント交換となりました。この時にマイスターが前整備者がこの状態でOKを出した事を非常に怒っていました、点検の意味がないと。
 その後、ポイントの調整で点火時期をあわせ、バルブクリアランスを調整し、左右のキャブレターの完全な同調を取ったOHVは今までとは段違いな軽やかさで回り、これが本当のBMWなんだと体感させてくれるものでした。
 その後距離を重ねて自分でバルブクリアランスを取り、左右のキャブレターの同調を取りましたが、その後のマイスターの確認(タイヤ交換時に見てくれた)で『自分でいじったろう!』と見破られ、こうなる筈が無いとたしなめられ、鼻の脂の利かせ方をちょっとだけ教えてもらえた。きっと私のことを少しだけ理解してくれて教えてくれたんだろうと思う。その頃の私は今より『いじくれない』人間だったんだ。

 
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 古いOHVのBMWを快調に乗っている人はどれ位いるのだろうか。マイスターがきっちりと面倒を見てくれている個体は問題ないだろうけど、以前の私のように良かれと思ってやっていることが間違っているまま気付かずに乗っている個体も多いと思う。
 経験上はっきり言える事がある、この水平対向モデルは完璧な左右のキャブレターバランスが取れないと本来のエンジンの美味しさを味わう事はできない。同調は乗っていれば必ず狂う、不調を察知できなければ調整すら出来ない。定期的にマイスターに合わせてもらうか、自分で合わせられる経験が必要になると思う。マイスターがマイナスドライバー一本で同調を合わせ、左右の排気音が揃い、全く振動なくアイドリングを続けるこの状態を見ると近づきたいけど、まだまだだなぁと思った。
 ATEのブレーキはパッドが斜めで、全面を当てることが出来ない。ビングのキャブレターはなぜか燃費が悪い、充電系の基盤が割れる、ワイヤー引きのフロントブレーキはタッチが曖昧、左右のウインカースイッチの位置が変、ボッシュの芋虫ヒューズは入手困難、思ったよりケツの痛くなるシート、オイルはいつの間にか減っていてツーリングの時はいつも1ℓ持っていく、等々、イメージより結構難のあるバイクなんですが、自分のものにしちゃうとなぜか愛おしいのはOHVの魔力か。

 
 完調なOHVは高速走行で股の下からプーン!というハミングがずっと聞こえていてどこまでも走っていける感じが有る。振動も少なく、柔らかい足回りとフレームで道をいなしながら乗り手を疲れさせず長距離を走るように出来ている。これは何台か試乗した歴代のBMWに共通してあるツアラーの資質であり、これが気に入れば歴代BMWを乗り続けることが出来るし、より深い世界に入り込めると思う。実際OHVが大好きな人は多い。
 私は4バルブ・1150GSからBMWの世界に入ったからOHVの世界は新鮮で、非常に楽しかった。エンジンだけを評価すれば空冷のOHVは独特のフィーリングを持った楽しい世界がある。
 でも、やはりBMWは代を遡ってもBMWで、乗り手は主体ではなくBMWさんに乗せてもらってツーリングをする人、乗り手が選べるのは行き先だけで、後は主のBMWさんにお任せして連れて行ってもらう。これが判った時が乗り続けるか乗り換えるかの判断の時期です、気付かなければ幸せ、気付いても乗り続けることが出来ればもっと幸せ、私のように乗り換えた人はどっちなんだろうね?



















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by gambaGX850 | 2017-04-01 10:21 | 思い出のバイク | Comments(8)
2017年 03月 26日

思い出のバイク MOTO GUZZI 1000S



久しぶりに思い出のバイクの話を書きます。

 今回はMOTO GUZZI 1000Sの事を書こうかと思いました。もう十年も前に『日曜の朝にはGUZZIに乗ろう』というブログを書いていました、気合が入っていたのと、書きたい事が山ほどあったので連日GUZZIの話を書き綴っていました。当時GUZZIの話を連日ブログに上げてしつこく書いている人はほとんどおらず、GUZZI乗りの人に受けてたくさんのコメントを頂けるブログに成りました。当時一日のヒット数がそれなりにあったんですが、今のYAMAHAに乗ろうの方がヒット数が多いのは意外です。
 さて、GUZZI 1000Sの話は以前書いたものに現状を加筆して書きます。文体が少し混ざるかもしれませんが、10年前の私と今の私の混合です。

 
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 もう既にかなり手を入れた頃の写真ですね、ゴールドラインのキャリパー、丸いシリンダーヘッドカバー、CD90のサイドカバー、シングルシート、ベベルDUCATIのサイレンチウムのサイレンサー(地面となるべく平行にしたかったから付けてみたけど、糞詰まりのサイレンサーで回らなくなってしまった)。二本目のオーリンズも付いているなぁ。写真から読み取れる細かなところは書ききれないなぁ。

 
 1999年6月1日の夜中にまさに青天の霹靂の出来事であるDUCATI 750F1の盗難で乗るバイクが無くなってしまいました。750F1の話はまた改めて書ける日もあるかと思いますが、簡単にスルーです。盗難に遭った心の傷は癒えませんでした。早く立ち直るには次のバイクを手に入れるしかないと思いました。さて、どうしよう。DUCATIはまた盗難が怖い、Harleyはもっと怖い。そんな折バイク雑誌でふと目に留まったKawasaki ZRX1100(最近まで売っていたダエグの前の前のモデルですね)が有りました、もちろんライムグリーンです、おぉわが青春のLowsonレプリカ!Dr.SUDAまで実物を見に行ったらもっとかっこいい、雑誌の中では山田純さんもハンドリングをべた褒めでした。750F1の時にハンドリングで散々迷って悩んだし、国産ならばハンドリングも部品供給も間違い無しだろうと心の中で決めていました。Dr.SUDAのIPTOSチューンを買うことに決めて、お金の算段をつけていざ出陣。バイク仲間(GUZZI乗り)の親友と車で出かけるが車内で友人はZRXが気に入らない様子『どうせガンバさんすぐ飽きまっせ!』と自信満々にのたまう。俺はこのKawasakiでお前のGUZZIをぶち抜いてやるぜ、などと思っていましたが、急に弱気に成りました。
 じゃぁ、同じ横浜方面だからGUZZI SPORT JINGUSHI(当時、現モトラボロ)でも見に行こうかと成りました。でも、GUZZIに乗るならば丸シリンダーぢゃなくちゃ嫌だ!とこの頃は頑なに思っていました。案の定LeMansⅠ/Ⅱは出物無しだし、有ったとしても高い。ネ申さんにはルマンⅠなんか出てこないよ!と甲高い声で宣言されちゃったし(笑)。
 岐阜の友人はLMⅡに乗っていたし、車中の友人は1000Sに乗っている、GUZZIに乗るチャンスは何度も有り、その良さ、味の濃さには惚れ惚れするものがありました。友人の引越しの時には1000Sを預かってしばらく乗り回していたことも有りました。確かにGUZZIは良いバイクだ。外車に乗るだけでも異文化コミュニケーションに成る事は750F1でよく判っていたし、そしてまたイタリアンバイクとくればぐらぐらと気持ちも揺らごうというもの。このあたりは皆さんも良く判るかと思います。(当時)GUZZIは不人気車だったし、盗難の心配も少なかろうと勝手に解釈して横浜から笹塚(当時)の福田モータースに寄りました。
 そして運命の出会いがFUKUDA MOTORSで待っていました。ショールームの前のガラスの外に埃をかぶった1000Sが佇んでおりました!さっそく営業に訊けば今日引き取ってきたとのこと。速攻交渉開始するが、先客があるという、北海道の人らしい。う~む。ショールームの中には結構手の入ったLeMans1000(18インチ)も有り、値段も手ごろだったけれども、1000S欲しいモードに入ってしまった私には眼中になかった。今冷静になって考えると同じエンジンで、カウル付き、フォルセラのフォークとラフランコーニも付いていた。まして、当時不人気だったルマン1000は不人気車大好きな私にとってぴったりだったんだ。営業マンに先客には内緒にするように説得し、その1000Sはめでたくわたしの物と成ったのでした。結構良い値段だったけど、それはそれ、何とかなっちゃった。750F1のようなスーパースポーツではなく、スポーツツーリングが欲しかったのだ。

 
 
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                         これはもう随分手を入れた後の写真だなぁ。

 お盆前の納車になりました。納車整備でゴムパーツの全て交換、ダイナコイル、K&Nフィルターをつけてもらいました。7000kmしか乗っていないワンオーナー車でしたが、一度目の車検を受けずにそのまま眠らせてしまったバイクでしたからはじめはなんだか眠いバイクでした。
 私は中古車を買った場合、前オーナーと同じ距離を走って前オーナーの匂いを消して自分のものにするのが慣わしでした。もちろん距離が出ているバイクはそんなことは出来ませんが、気持ちだけでもそんな感じです。ですから今回も一挙に7000kmを走らねばならぬ、と自分にノルマを課しました。納車の週末に1000km走り、オイル交換して翌週末には岐阜の友人の所まで往復1000km、常磐道~東北道をループで走り600km、平日に信州方面日帰りで700kmを走りました。二ヶ月で2度目のオイル交換でした。
 始めこの子は前のオーナーが回してあげなかったのか、回りたがらなかったのです、エキパイも全然焼けていなかったんですよ。4000km走ってやっと調子が出てきたのかな?という感じでしたよ。何のことはない、中古車なのに新車慣らしをしたようなものでした。
 GUZZIは本当に面白い、この魅力を思いつくまま書き連ねると、天上天下唯独尊、余人を持って換えがたし、わが道を行く、という感じでしたでしょうか。一度濃い味のものを知ってしまうと薄味には戻れない。このサイズの二気筒には性能も回り方も数段良いライバルがたくさんいるのですが、洗礼されていないところがまた魅力でしたし、大きな吸気音と太めの排気音を奏でながらの豪快な加速はこれでしか味わえないものでした。機械的な精度を突き詰めるともっと洗礼されて良くなる事は判りますが、基本設計が古いエンジンにそれを望むのは酷だし、面白くなくなったら困る。適度なルーズさが生み出す魅力を半減させてしまうのはもったいないと思ったのでした。このエンジンをこの車体で味わうのが1000Sのおいしい頂き方だと考えました。

 
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ベリアのレーシングタコメーターをつけて嬉しかったころでしょうか。イモラカウルの内側の景色が今見てもかっこいいですね。

 
 さていじくる方ですが、なるべくノーマルのラインを残し、チープなパーツ、似合わないパーツを交換して行きましょう。目標は現代に蘇る750S3。
 まず、灯火系のダサいものの交換、四角くてでかいテイルライトを小さく(散々探し当てたのはヤマハのルネッサ250のもの)、ウインカーも小さくしましょう(最終的には郵政カブの物を使った)、四角いブレンボのマスターもapLockheedの丸くてクラシックなものへ、メーター周りの光り物を隠してしまうこともしました。

 
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 その後もどんどんいじり続けてしまい。最終的にはシングルシートにイモラカウルの1000Sに成ってしまいましたが、そこまでの過程を全て自分で作り上げたのは良い経験になりました。
 
 まさか、自分がGUZZI 1000Sを手放す日が来るとは思わなかったのですが、ちょっと元気な1000Sに乗るのに疲れてしまったのが正直な所でした。もう少しスピードレンジを落としてツーリングするべぇと思ったのですが、何をトチ狂ったのか R1150GS を買ってしまいハイスピードツーリングの世界に迷い込んでしまったのは自分でもおかしい。
 
 MOTO GUZZI 1000Sの初めのころのお話でした。 








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by gambaGX850 | 2017-03-26 14:04 | 思い出のバイク | Comments(10)
2015年 08月 30日

思い出のバイク CT110 ハンターカブ

 めっきり涼しくなりました、今年の夏はもう終わったのでしょうか。

 久しぶりに自分の乗っていた思い出のバイクを書きたくなりました。今回はちびっ子里山仲間にも人気のあるホンダCT110・ハンターカブです。
 CT110はいろんな方が大好きで、大きなバイクのセカンドバイクとして重宝されてたり、もちろんゆっくりツーリングやゆっくり林道のメインバイクとして遊んでいらっしゃる方も多いですね。私も現在の通勤快速のタウンメイト90に乗る前に裏道通勤快速として重宝して乗っておりました。手に入れたのは今から17年ほど前だったでしょうか、はっきりした日にちの記憶が残っていないのですが、国内仕様のCT110を買いました。国内仕様?といぶかる方もいるかもしれませんが、今多くの方が乗っているオーストラリア仕様のCTではなく1981年製の国内仕様でした。オーストラリア仕様との大きな違いは副変速機の無いただのリターンミッションで、車体の色がビビッドな赤ではなく一時期のホンダに多く使われたモンツァレッド(色番R110)と言われる朱色に近いボディーカラーでした。

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 これが私とCT110の記念写真です。職場の地下駐車場で撮りました。なんか疲れている顔をしておりますが、何でだろう?
当時もう無くなってしまったDUCATIの革ジャンを着ておりますね。ひげもまだ黒く、残り少ない頭髪もまだ有りますねぇ。

 1981年当時ホンダはトレッキングバイク3兄弟としてこのCT110・ハンターカブとCT250S・シルクロード、TL125S・イーハトーブを発売しました。今思うと皆ちゃんとサブネームをもっていましたね、最近サブネームを持つバイクが有りませんが、サブネーム付きのバイクって愛着が有ってよろしいですね。

 
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 ほんの少しだけいじりましたよ。ノーマルの大きなテイルレンズとウインカーが気に入らなかったので、スーパーカブの部品を使って改造しました。テイルランプはカブの小判型の小型の物を小改造で付けました、随分リア周りがすっきりしますね。リアウインカーも同じくカブのメッキボディーのものへ、テイルランプと共付けだったのをリアフェンダーに移しました。国内仕様にはリアフェンダーにウインカーを取り付けるナットがそのまま溶接されていました。ホンダのウインカーに多い配線の通る周り止めと6mmのネジで留めるタイプです。フロントも同じくハンドルマウントの四角いウインカー(CB250RSと共通部品ですね)からライトステイに移動です。こちらも二ヶ所穴を開け、カブのウインカーを付けました。写真ではまだハンドルのウインカーステイが残っていますが、この後切り落としています。CD90のリアシートをくくり付けていますが、結局このシートはほとんど使わず、金属のリアボックスを付けました。リアボックスはそのままタウンメイトにキャリーオーバーされています。ネジ留めのサイレンサーのデュフューザーを自作してちょっとだけ良い音がするようにしましたが、性能は変わらないですね(笑)。
 このあと、オプションのフロントキャリア(バネでぱっちんと書類がはさめるヤツ)とセンタースタンドを取り付けました。酷使されたバイクらしく、全ての可動部の動きが渋く、全てばらしてグリスアップしましたが、楽しい作業でしたね。
  ボディーカラーが朱色なのが良く判りますね。

 これに乗っていたある時期に、母親が長期入院をしていたことがあり、毎日仕事帰りに浦安まで顔を見に行くことにしていたのですが、その際特定のコースである条件を合わせて下りながらリアブレーキを強めに掛けると後輪が簡単にブレークし、カウンターを当てつつブレーキングドリフトできることを発見し(馬鹿だね)、いろいろ試して左コーナーで遊べることを発見しました。
 通勤途中にも後ろに車がいないことを確認の後ジョリジョリッと後輪を微妙にロックさせ、カウンターを当てる遊びをしておりました。ブロックタイヤだから出来たのかな?今同じことをブロックタイヤを履かせたメイトでしようと思うと上手く行かないんだよね、スピードなのかタイヤなのか、判んないけど、面白かったなぁ。

 
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 そしてこれが、同時に発売されたシルクロードです。実際自分で手元に置いたことはないのですが、以前の職場の同僚(当時すでにおじさんw)が乗っていたことが有り、何度か乗ることが有りました。当時私はCB250RS改に乗っておりましたので、同じエンジンのこいつには興味がありました。普通に乗れば街中はこっちのほうが下から力が有り乗りやすかったですね。今ならばスクランブラーのくくりで売れそうなものですが、ヒットはしなかったですね。のちにCL400も出したけど、やはりパッとしなかったねぇ。日本はこういうのは受けないのかな?アップマフラーはかっこいいのにね。

 
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 そうしてCT110とシルクロードと同時に発売された、TL125S・イーハトーブです。ちょうど今頃岩手でイーハトーブ・トライアルが開催されていますね。宮沢賢治の理想郷の岩手県の名前から取ったトライアラーですね。この前にTL125・バイアルスがあって、それのマイナーナーチェンジの再販版ですね。友人から格安で譲ってもらいました。
 写真はかなり太っている時期のものなんですが、ちょっとお腹の辺りやばいですね。写真自体は一番上のCT110とほぼ同時期なんですよ。私はCTと同時に通勤にこれを使っていたんですよ。でもトライアラーのギア比は町乗りには厳しいですね!
 いま、仲間内で流行っているちびっこ里山ツーリングにこれでいけたら面白かったでしょうね、もちろん現地までの自走は嫌ですけど。

 CT110の話をしようと思ったのですが、CTでツーリングに行ったわけでもなく、息子にバイクの練習をさせたくらいで通勤オンリーのバイクでした。タウンメイト90を買う時に二台とも格安で譲り渡してしまいました。今ならもう少し良い値段が付いたのかな?(笑)
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by gambaGX850 | 2015-08-30 05:30 | 思い出のバイク | Comments(16)
2015年 06月 28日

思い出のバイク SS50 K1

 久しぶりに 思い出のバイク を書きます。

 今回は Honda SS50 K1です。
先日友達のブログの中にSS50K1のカタログを発見し、自分の中で思い出がフラッシュバックしました。これこれ、このカラーリングのモデルを持っていたんだよぉ!って。それじゃぁ私もブログの中で書きましょうってことに成りました。
 ところが写真を探したのですが、どこに紛れ込んでしまったのか、一枚しか見つけられなかったんですよ。そこでネット上でカタログを見つけて昔話をしようと思います。

 
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 私のSS50はこのタイプでした。タンクの形が違う初期型があるのですが、K1と呼ばれるこの細身のロングタンクのほうがスポーティーで好きでした。いつも書きますけれども、わたしはサイドアップマフラーのデザインが大好きなんですよ。テイルカウルもスポーティーですね。
 このカブ系の横エンジンはメーカーチューンといっていいほどの性能でした。カムシャフトが違っていて高回転まできっちり回り、しかも5速ミッションで痛快でしたね。6VのモンキーをいじるときにDAX70のシリンダーで72ccにして、SS50の5速ミッションとカムシャフトを入れるのが純正流用チューンの定番でした。実際この頃のモンキー用の5速ミッションとして売っていたものはSS50の純正品だった時代も有りました。
 メーカーチューンといえばこの後しばらくしてからモンキーRも買ったんですが、あのエンジンもメーカーチューンで凄かったですね。

 
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 これが初期型のSS50ですね。しかし、原付なのに堂々と最高速95キロ!って謳っているのが凄いですね、良い時代です。確かに私は通勤の時に長い直線で90km/hは出ましたからウソじゃないですね。高回転のときに吸気音も結構勇ましくて高揚感が有りましたね。
 しかし、62,000円って今の価値で言うとどれ位の価格なんでしょう、びっくりするほど安いですね。

 
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 これが唯一探し出せた写真です。口に咥えているのはタイラップの切れ端です、今でもこれは整備中に良くやる癖です。結婚してすぐの頃と思うのですが、まだ子どももいない頃でしたね。今では信じられないくらい髪の毛が生えておりますね!右手にCABINをもっているように見えますが、CABINなんて吸っていたことがあるのかな?記憶に全く無いんだけど。
 この写真の時はまだ引き取ってきたばかりの頃で、タンクやシートが古ぼけたままですが、このあとまだ充分出荷されていた純正部品でタンクやシートも新品にしましたよ。一文字ハンドルもなかなかかっこいいですね。リアウインカーを見るとすでにCS90(028)のウインカーに交換してありますね。今はもう欠品で出てこないダイキャストのかわいいウインカーです、今でもカスタム用に人気ありますね。自動車用ルームランプに良く使われていた俵型の電球が入っていましたよ。
 この後、充電系を手直しして、燈火類を生き返らせ、点火系もしっかり直しましたっけ。イグニッションコイルがプレスフレームの中に入っていてコイルの交換はエンジンを前にお辞儀させないと交換できなくて焦りましたね。当時大した工具も技術も無く闇雲にばらしていましたよ。軽整備で走り始めたのですが、ある日出先で点火系がぶっ飛び、延々押して帰ってきたことも有りました、まだ軽いから良かったけれども、坂道には参ったことを思い出しました。プーラーでマグネットの所を抜いてポイントを見たらポイント自体が壊れていたなんてとんでもないことに成っていました。
 アウタースプリングのテレスコピックのフロントフォークをばらしたら元に戻すのが非常に大変で困ったこともありましたっけ、フォークブーツが切れていたので交換したんですが物凄い手間でしたね。

 この頃、通勤用にと思ってSS50を手に入れたのですが、やはり50ccでの通勤はリスクが高く、30km/h制限で走るなんてこと出来ないから違反が恐かったですね、ただでさえ捕まってばかりいたころだったから。もう一台有ったカワサキAR80がメインの通勤バイクでしたね。
 結局このSS50は仕事先の倉庫で寝ている時間が長くてかわいそうなことをしてしまいましたが、きれいに仕上げたので欲しいよという人が現れてただみたいな値段で譲ってしまいました。今思えばエンジンだけでも取っておけば、その後手に入れたZ50Zモンキーに乗せ替えれば良かったんですよねぇ、勿体無い事をしたなと。
 今みたいにちびっ子で遊べる環境が有ったならばそれなりに楽しいと思うんですよ、ぶん回して走るカブ系のエンジンは楽しいですからね。


 
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実はこのエンジンのピストンをまだ持っていて本棚の上に飾って有ります、かわいいハイコンプピストンですよ。ART製ですね、ホンダだから当然か。
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by gambaGX850 | 2015-06-28 05:30 | 思い出のバイク | Comments(14)
2015年 04月 03日

思い出のバイク Freeway 250

久しぶりに思い出のバイクを書きます。

 以前書いたSDR200の最後の所に子供が出来たのでHONDA Freeway 250を買いましたと書きました。その辺りから思い出しながら書いていきたいと思います。

 当時まだ20代後半でした、バイクばかり乗っているバカな生活をしていましたが、結婚が早かった私にも子供が出来ました。当時二歳になろうかという息子を保育園に送り迎えする為に荷物の積みやすいスクーターを買おうと思いました。流石にNS400Rで保育園に行くわけにもいかないのでスクーターを物色し始めました、当時付き合いの有ったホンダのウイング店ににLEAD90を見に行ったのですが、店で話しているうちに『どうせ買うならでかい方が面白そうだわい』とFreeway250を買いました、二代目の丸いデザインの奴ですよ。完全な予算オーバーでしたが、うちの奥さんは出来た人で文句ひとつ言わなかったですね。
 なんとSR400以来の新車を買いました。この間いろんなバイクを買いましたが、全て中古車だったので久しぶりの新車は本当に嬉しかったですよ。Freewayはシート下のトランクが大きくて仕事帰りの買い物も楽だし、保育園の行き帰りの荷物を詰め込み息子を股に挟んで家まで帰るのは結構楽しかったものです。250ccのスクーターは速くて楽ちんで真の通勤快速&実用車でした。
 長男をステップボードの上に立たせそれを両膝で挟んで走っていました。今思えば凄い事をしていましたが、家から保育園まで正味5分もなかったし、全部裏道だったからすれ違う車もいなくて普通に走っていましたよ。毎朝夕保育園に送り迎えをしていました。とんでもないことですけどね。
 その頃の私は今と同じに髭をはやしており、なんと髪の毛も長くちょんまげ状態でした、その格好で保育園に通っていたので他のおかぁさん達の好奇の的でしたよ(笑)。『健ちゃんのお父さんは何をしている人だろうか?』『芸術家ではないだろうか?』『ただのバイク即配のアンちゃんじゃないのか?』等々け勝手なことを言われていました。面白いから聞き流していましたけどね。でもそのうち父兄会の会長までやったわたしはただのバイク好きの変なおじさんだったってばれちゃいましたけどね。そのステップボードに乗っていた息子が今27歳なのですから歳を取ったはずですよね。

 さて、Freewayもこまごまといじりましたっけ。
まずは大好きだったスーパートラップを入れました。当時まだビッグスクーターに若者が乗るなんて文化はなくて、しかもサイレンサーを交換するなんてそんなバカなことやる人はいませんでしたよ。私は昔のツテを頼ってアルミの4インチ管をワンオフのエキパイを作ってもらって装着していました。ディスクは4枚ほどで自家製サイレンサーもぶっこんでいたので爆音とは程遠い軽音でしたよ。性能は上がりませんでしたが。
 このFreewayはELITEという名でアメリカにも輸出されていたのでそのELITEのエンブレムを取り付けてみました、ただそれだけなんですけど。
 ラジエターグリルの中に当時出たばかりのプロジェクターライトを仕舞いこみました、イエローバルブエを入れてちゃんと別スイッチで点燈するようにして夜はグリルの中からイエローバルブが光る・・・と。なんだろうねぇ?でもわざとイエローにしていたのは通勤で車から視認性を上げるためでしたが、今でもやっている単なるおまじないなんですけどね。
 ブレーキキャリパーを取り付けの全く同じだったVF750のバッテンキャリパーに交換し、自分でブレーキホースを作ってストレートフィッティングをおごって取り回しにもこだわりましたっけ。効果抜群で今までのブレーキとは段違いの強力になりましたが、雨の日とかはかえって難しくなってしまいましたね。ブレーキにフロントサスが負けていましたよ。


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 下に書いた伊豆半島にツーリングに行った時の写真。国士峠の途中だったかな?スーパートラップが付いているでしょ?ELITEのエンブレムも確認できますでしょうか。この頃仕事柄平日にツーリングすることが多かったのですが、NS400Rでも走りましたが、Freewayで伊豆とか、北関東方面とかツーリングしていました。結構楽しかったことを思い出します。


 さて通勤では毎朝同じ時間に走っているので出会う人もいつも同じで、当時最速スクーターといわれたVespa CORSA200に乗る人と張り合って遊んでいました、その後私もVespaP200に乗るようになり判りましたが、ATの250のスクーターにはVespaのハンドチェンジでは全く勝負になりません。でもそのCORSA乗りの人は上手くてね、出足で先行する私をきっちりマークして追いかけてくるのですよ。品川駅辺りから新橋駅辺りまで国道15号を毎朝楽しいバトルをさせて頂きましたね、今思い出しても快速ですよ。
 ある朝は昭和通りの秋葉原の先でRG400Γのお兄ちゃんと遊んでもらっているときに、青信号でGO!って飛び出したらガンマのお兄さんがのんびりスタート『あれ?』と思いつつもフル加速したらなんと私の死角に白バイがいて30km/hオーバーで捕まりました。Γ君は大笑いで私の横を通り過ぎ、くそっと思いましたが、また赤切符をもらってしまいました。30日免停。
 あるときは平日の伊豆半島に一人でツーリングに行きました、西伊豆から回って帰り道に湯河原の旧道を気持ちよく飛ばしていたらZ31のフェアレディーに煽られまくってしまい、頭にきて全力で逃げました。そうしたら左右のコーナーでセンタースタンドを擦りまくった、今まででも左は簡単に擦れたけど右側は初めてだった。こんな走りをしていたらコケルと思って道を譲ったらZのあんちゃんがピースサインをして喜んでくれました。火花でも出ていたのかな?(笑)。バカですね、でも、それくらい走りのいいスクーターでしたよ。
 そのFreewayも下の娘の保育園通いにも使い、3年ちょっとで16000kmほど乗って友人に譲りました。ビッグスクーターの出始めだったFreeway250はスタイルも過激ではなく穏やかで、でも速くて気分のいいバイクでした。一時期のビッグスクーターのように変に若者に媚びていないところも良かったし、使い勝手も非常に良かったですよ。子育て父さんには良い道具でした。

 今再びちょっと大きなスクーターが欲しいなぁと思うことも有ります。荷物を積んで少し長めのツーリングに行きたい気がします。バイクじゃなくてスクーターの気楽さでちょっと長めの距離を走れたら面白いかもしれないと。何がいいかな、やはりTmax530かな?(笑)

















 
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by gambaGX850 | 2015-04-03 05:38 | 思い出のバイク | Comments(24)
2014年 11月 20日

思い出のバイク NSR250R('89)

思い出のバイク 今回はレーサーズ・レプリカです。

 2サイクルにはまり込んでいた時期にとうとう手を出したのはレーサーズ・レプリカです。一年落ちで手に入れたのは'89NSR250Rでした。今記憶をたどって冷静に考えると性能の半分も使えていなかった気もいたします。当時は子育ての時期とも重なっていた事もあり、バイクに乗る時間もあまり有りませんでした。

 ついに手に入れたレーサーズ・レプリカNSR250R、これはとてもうれしかったです。乗るのもうれしかったですが、いじり甲斐のあるバイクでした。以前働いていたホンダ関係の会社の同僚が乗っていたものを当時としては格安で譲ってもらった記憶があります。初めは黒/銀のSEEDカラーでしたが、すぐに青/白のTERRAカラーの外装に交換しました。
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それでも飽き足らず、和光のホワイトハウスでオールペイントしてもらいアメリカで活躍していたTwo-Brothersカラーにしました。トリコロールのうねうねラインで、フレディ・スペンサーがRC30やCBR900でAMAを走っていた時のカラーリングをベースにしました。雑誌などの資料を集めてかなり無理を言ってカスタムペイントをお願いしました。自分で言うのもおかしいですが、かなりかっこよかったですよ。バイクの全塗装と言うのは初めての経験でしたが、大きくイメージが変わってびっくりすると供にうれしく、目立つなぁと思いました。
 手に入れてからはエンジンもいじりました。純正部品でSP用の6速クロスミッション、乾式クラッチ、HRCのエンジンセットアップキットを当時仲良くしてもらっていたMOTO BUMで組んでもらいました。クロスミッションは自分で組みました。しかし、エンジンを開けたメカの方からは『もっと回さないと駄目だよぉ』なんて悲しくなるような、恥ずかしくなるような指摘も受けてしまいました。足回りはSPのマグホイール、HRCの細い番数のブレーキホース(なんだか細かったんですよねぇ)、8耐用のブレーキパッド(確かRC30で8耐に出るためのパッドセットだったかな?)、apロッキードのマスターシリンダー(これは今でも好きだからTX650に使っています)、とにかくパーツの選択肢は広かったです。この頃HONDAはNSR用のSPキットとFⅢキットを出していましたし、当時の市販レーサーRS250のパーツもボルトオンで取り付くものも多く有りました。クレバーピープルというHRCが出していたセッティングマニュアルも有りましたね、参考にしましたっけ。ここで書ききれないほど隅々まで手を入れました、結局取り寄せたものの取り付けないままの部品もかなり有りました。いじくってばかりで乗るほうはバイクに似合わない乗り手でしたね。
 果たして私はこのバイクを乗りこなせるのか、うまく走らせることができるのか。当時の自分としては一生懸命練習しましたし、サーキットにも何度か通うようにもなりました、SDR200で走っていた経験がサーキットの敷居を低くしていました。当時ちょっと遠くまで通っていた事もあり、NSRを通勤で乗っていました、毎日往復60km以上走りました。毎日これ位走ればそれなりに扱いにも慣れてきましたし、回して走れるようにもなりました。今思えば街中であんなに回して走っていたなんて自殺行為ですが、その頃はそんなこともあまり思わず、身体もそれなりに反応していたんですね。でも、通勤を含めてたくさん走り回るといろんなところがへたりますし、タイヤの消費も激しかったですね。そうそう、初めてのラジアルタイヤでも有りましたね。

 
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 ビーナスラインに向かう途中きれいな白樺があったので写真を撮りました。この日は怒っていたので(理由は下に書いてあります)、ひとりでビーナスラインをひたすら飛ばしましたね。
 このカラーリングがTwo-Brothersカラーです。 レースが好きな方なら見覚えのあるカラーリングじゃないでしょうか。この写真で判るのはカーボンサイレンサー、HRCのステップキット、シングルシート、RS250の赤いリアブレーキキャリパーに小径のディスクプレートでしょうか。

 そうだ、このNSRでは久しぶりにこけたんだ。みんなで箱根に走りに行った時に西湘バイパスのパーキングの入り口の左コーナーでポテっと転がしてしまったんだった。回り込んだ左コーナーを私の二台前に他のグループのVT250に乗る女の子が走っていて、私の前にCB1100Rの先輩が走っていました。女の子がなんで?というような所でブレーキを掛け、先輩が右に、私が左にほぼ同時に避けたのですが、私の行き場所がなくなってしまい握りゴケしてしまったんです。今思えばまだまだ未熟なのですが。焦って起こしましたが、ステアリングダンパーのロッドが曲がっていて起こしたもののハンドルが切れず、反対側にもう一度転がしてしまいました。恥ずかしいやら情けないやら・・・それが原因で塗り替えたんだけれども。

 峠での走りはそれはもう気持ちのいいものでした、これに腕が伴えばもう無敵だったでしょうが、その辺は語らぬが花。(苦笑)
 ある日、群馬と長野の県境の峠を気持ちよく飛ばしている時、前方に黄色ラインを跨ぎながらよそ見をしているおじさんの運転している異常に遅いランクルをヒョイと抜いたら後ろにいた白バイ(気が付かなかった!)がそれをしっかり見ていた。そのまま調子よくかっ飛んで行ったら白バイがサイレンを鳴らして追いついてきて、『県境からずっと目を付けていた、いつか違反すると思った、これ以上追いかけるのはこっちも命懸けだ』なんて言われてしまった。おれを捕まえるよりランクルのおじさんを注意しろよと憤慨したがもちろんしっかり切符は頂戴した。実はこれが最後の違反切符でこの時より今まで違反切符を切られた事が無い。それが上の写真の日で1993年5月9日だから20年以上違反切符をもらったことが無いんですよ、わたし。

 そういえば今もやっている日曜の朝の朝練もこのNSRで始めたのですよ。子育ての時期だったので純粋に乗る時間が取れず、日曜の朝早くに起きて都内を走ったり、首都高を走ったりしたのが始まりでしたね。ほぼ同時期にDUCATI 750F1も手に入れたのでバッテリーの保持の為一度エンジンを掛けたら最低50kmはノンストップで走ろうと思ったのがきっかけですね。
 このNSRは結局DUCATIとの両立が出来ず、25000kmほど乗って手放してしまいました。手放したバイクでもう一度乗りたいというバイクは何台か有りますが、このNSRはもう乗らなくていいです(笑)、飾って置けるならば棚の上にでも飾っておきますが、乗れといわれても『もう結構です』と言います。それほど速いバイクでしたが、何度も書くように私が実力を発揮させてあげられなかったバイクの筆頭でしょうね。
 

 今日はこのへんまでです。今週末ちびっ子ツーリングで広島のしまなみ海道まで行きます。(自走じゃなくて車に積んでいくのよ)
 次のブログ更新が滞るかもしれません、ご容赦ください、帰ってきたらツーリングレポートを書きます。
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by gambaGX850 | 2014-11-20 05:30 | 思い出のバイク | Comments(8)
2014年 09月 07日

思い出のバイク GR50 GT50

 思い出のバイクの話です。
今回は二台まとめて書きます。なぜかと言うと確かに乗っていたんですが、10代の頃で記憶があまりにも鮮明ではなく、バイクそのものを語ることが出来ないからなんです。まだ小僧の頃ですから乗り方も下手で整備ももちろん出来ず、ただうれしくて乗り回していただけで、今のようにじっくりと観察してレポートを書けるような状態ではなかったのです。
 ただただ、乗っているだけで楽しい時代で、ある意味一番純粋で無垢な時代だったのです。今手元にあれば、ああしたいこうしたいといろんな事を考えるのでしょうが・・・。

 バイク本体の話は少ししか出来ませんが、これに乗っていたときの懐かしい思い出話を書いてみたいと思うのです。

 
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 まずはGR50です。先日の妄想ラインナップ2の一番に上げたのもこのバイクです。何せ原付免許を取って初めて乗ったバイクですからこのバイクの思いでは強烈です。
 そもそもこのGR50は中学・高校の同級生が中古で買ったバイクだったのです。いまだに数年に一度顔を合わせる親友なのですが、会えばこのバイクの話になります。今では丸の内の一流企業のお偉いさんになっている友人ですが、会ってしまえばあっという間に10代の頃に逆戻りできるいい友達です。
 その彼が高校1年の時にCB50Sと散々悩んで中古で手に入れたのがこのGRでした。その時にはすでにノグチのチャンバーとビッグキャブが入っていたんです。わたしは1月生まれなので4月生まれの友人が免許を取っていくのをうらやましく指をくわえて眺めていました。免許を取った友人たちはそれぞれ家にあったバイクやどこからか手に入れてきたバイクに乗り始めていました。ぽつぽつと出来始めたファミレスに週末の夜に集まった時はシャリーとかロードパルとかCB50とかいましたね、わたしは自転車小僧だったこともありロードレーサーで行きましたけど。
 その友人が中型免許を取るのでGRを手放すと言うのでわたしが引き受けました。当時のことですからもうただの乗りっぱなしの中古バイクです、エンジンは掛かりづらい、チャンバーは五月蝿いGRでしたが、そんなことは関係なかったですよね。

 うれしくて毎日のように乗りましたよ。私の住んでいる東京下町ではちょっと走ると東京湾の埋立地があったのでそこに走りに行くのがお約束のコースでした。当時まだ浦安にディズニーランドなど有る訳も無く、鉄鋼団地がポツンと有るだけでした。今の湾岸線の側道がようやく出来上がりつつある時でまだ開放されておらず、真ん中の首都高湾岸線はただの空き地でした。埋め立て自体もそんな進んでおらず、今の新浦安はまだ海の中の時代ですよ。そこに来るのはトッポイバイク乗りのおにぃちゃんか釣りのおじさんだけでしたよ。
 大きな碁盤の目に仕切られている埋立地は絶好の練習場所で初めて買ったSHOEIのフルフェイスを被って走り回っていました。ガードフェンスに誰かが開けた隙間があり、細いGRで入り込んでいくと湾岸線(今の国道357ですね)が真っ直ぐ新品のアスファルトであったんですよ。そこに入って最高速チャレンジをするんです。とてもセッティングが出ているとは思えないビッグキャブとチャンバーですが、ある回転からはかなりパワフルでビィ~~ンとけたたましい音で加速しました。勇気を持って開け続けるとメーターを振り切るほどスピードが出ました、確か大げさな100km/hメーターが付いていたはずですが、そこまできっちり出ましたよ。
 ある日いつものように加速を始めると道の外側にパトカーがいて、赤燈を点けスピーカーで『そこは立ち入り禁止だっ!』とか『直ちに停止してこっちに来い!』みたいな事をがなっていました。先ほども書いたようにガードフェンスの狭い隙間から入るわけですからパトカーは入って来れないんですね、知らないも~ん、止まんないも~んと1km以上先の突先まで行ってそこの隙間から這い出て、かなり遠くにいるパトカーから逃れて岸壁沿いに走り、釣りをしているおじさんの中に紛れて時間をつぶしてから帰りました。馬鹿な話ですが、その頃はそんな話が普通の時代だったんですよ、ホント。

 
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 で、たぶんその日に帰宅後に撮ったのがこの写真です。
脳みそがふやけて記憶が定かではないのですが、その日にこの写真を撮った記憶があるんですよ。跨っているのがわたしの訳が無く、年の離れた弟です。
 この写真で唯一判るのがバーエンドミラーが付いていたんだなぁってことで、キャブもチャンバーも見えませんね。当時カメラで写真を撮るということはなかなか無かった事でGRの写真がこれしか見つけられなかったんですよ。
 始めのところに書いたファミレスに集まった時とかも写真を撮っていたんですが、どこに紛れてしまったのか見つけられません。


 
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 そしてもう一台はGT50ミニトレです。
GT50に乗っていたのはもう中型免許を取ってGX400SPに乗っていた時期なんです。もう大学生に成っていてアルバイト三昧の日々でした、GXのローンも有ったし、ガソリン代だって稼がなきゃいけなかった。肉体系のバイトに精を出していました、その時に同じバイト先の同い年の同僚がこのカラーリングのGT50に乗っていました。この写真は海外のサイトから拝借しましたが、もう少し濃い緑色だった記憶があるのですが、記憶違いなんでしょうね。
 そのバイト先の同僚も大学生でしたが、何がいけないのか金使いの荒いやつでいつも金ねぇって言っているんですね、そんな彼がGXでバイト先に通ってくるわたしにGTを買ってくれないかと言いました。いいけど、すぐお金は出せないよ、少し待っていてくれる?ひと月ほどしてお金を払いGTが手元に来て、ほんのしばらくして彼のアパートに遊びに行ったら・・・玄関に鍵は掛かっていなくて、中を覗いたらもぬけの殻。なに?どういうこと?そこに現れた大家さんが黙って田舎に帰って行ったと教えてくれました。でも何で鍵が掛かっていないのよ?
 
 その時にはすでにGR50は譲ってくれた親友のところに再び帰って行きました。その代わりにこのGTが来たのですが、同じエンジンにほぼ同じ大きさの車体でしたが、個人的にはGTの方が面白かったですね!格好はGRの方が圧倒的に好みですが、乗ってみるとGTの方が面白かったです。先ほどちょっと調べましたら、GRが4.5馬力、先輩のGTが4.0馬力でしたね、0.5馬力がどれほどの差か判りませんが、手が入ったGRの方が速かったけど、GTの方が乗りやすかった。
 GRの時と同じく、東京下町の小僧はOFF系のバイクを持っていると河川敷に走りに行くんですね。ご他聞にもれずわたしも旧江戸川の河川敷に走りに行っていました。篠崎の水門のちょっと上流ですね。当時から野球場も有ったのですが、まだまだただの不整地で勝手に作られたモトクロスコースもどき見たいのも有りましたよ。流石にコースに入り込むほど度胸が無かったのですが、小さなコースをビィ~ビィ~言わせて走っていました。不整地を走るのって難しいけど、非常に楽しいでしょ?こんな小さなバイクでも楽しくて楽しくて。ほんの小さなジャンプスポットが有って、ある時思い切って飛んでみたら・・・ほんの50cmくらい飛べたんですね。もう病み付きですよ、なるべくスピードを落とさずに長く飛ぶ事を考えていましたが、ある時ちょっと多めに飛べたかな?と思ったらリアサスがほんの少し曲がりましたね。
 サスが曲がるほんのちょっと前にいつものように河川敷を走っていたら港湾警察(?)のパトロール船がやはり赤燈を点けて川から『そこはオートバイで走行してはいけません!』『直ちに出てください!』なんて大音量で注意を受けちゃいました。そっちから言われても怖くないも~ん!知らないも~ん!って下流に向かって逃げていったら、なんと土手の上から自転車に乗っている『本官君』も現れて警笛でビリビリビヒャ~って威嚇されて、でも自転車とGTじゃ勝負にならないでしょ?河川敷をダラララッて走って自転車のかなり先で土手に乗り上げてジャンプして、へへ~ん!ってそのまま家まで帰ってきました。
 あの頃は何でバイクに乗っているだけでこんなにおまわりさんに好かれちゃったんだろう?不思議だ。

 GT50は一年ほど乗りましたが、GXからSR400SPに乗り換える時に一緒に手放してしまいました。その時は何にも感傷は無かったけれども、今思えばもっと大事に乗って手元に置いておけたら面白かったろうなと思います。もちろん現実問題では手元に置ける訳も無かったのですが。
 小さなバイクはいくつに成って乗っても楽しいし、少しは上手くなった今ならばパワーをキープした乗り方やハンドリングを考えながらのライディングも出来るだろうに。
 もう少ししたら手元に来るAT1では十分そのあたりを考え、今まで乗ってきた小さなバイクたちのことも思い出し、大切に乗ってあげたいと思っています。



 これをアップするのは日曜の朝ですが、その頃はもう東北に向かってTX650で走っている事と思います。気を付けて楽しんできますね。せっかくコメントを頂いてもお返事が遅れると思います、ご容赦ください。





















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by gambaGX850 | 2014-09-07 05:33 | 思い出のバイク | Comments(17)
2014年 08月 30日

思い出のバイク NS400R

久しぶりに思い出のバイクを書きます。

 今回はレーサーレプリカ時代のはしりの頃のバイクです。
ホンダがヤマハのRZ250に対抗してVT250Fを出して、いにしえのCB72とYDS1の対決の再現だなんて一部で言われていた頃、ホンダは2サイクル3気筒のMVX250を用意して2サイクル路線にも進出しました。ところがMVXは熟成時間が短かったのか、真ん中の直立シリンダー側のピストンを前側2気筒に合わせる為に重くしてバランスをとるシステムが駄目だったのか、はたまたオイルポンプのリコールの続出のせいなのか、一部のマニアには受けたもののRZ250を駆逐することは叶わず、短命で終わってしまいました。わたしの周りにはMVXが3台もいたのでしょっちゅう乗せてもらえる環境にありました。RZに比べると小さな車体でエンジンの回り方は2気筒の比じゃなく回り、独特の3気筒サウンドで面白いバイクでした。メーター周りやカウルがVTと全く同じで(部品番号は違うものの色違いだけでまったく同じ部品)がいけなかったのか、前から見るとTVとの区別が付きづらいバイクでした。そんなMVXの車体そのままになんと375ccのV型3気筒を乗せた『MVX400』をホンダは用意していたのです、わたしは発売直前のMVX400Fのパーツリストを見たことがあるのです、すげぇMVXの400が出るんだぁと思っていたらなんと発売直前で販売中止になりました。あのパーツリストを持っていたら凄いレア物でしたね!(車番KV3=MVX250、KV4=MVX400だったはずKV4は欠番かな?)
 MVX250で失敗したホンダが市販レーサーRS250とほぼ同じ形で1986年にNS250Rを出して巻き返しを図りました、NS250はそこそこヒットしてモデルチェンジしたRZ250Rといい勝負をしていました。レプリカ時代の幕開けとHY戦争の真っ只中、HONDAはMVX400のフルモデルチェンジ版、NS250にV型3気筒の375cc(378ccだったか?)を積んだNS400Rを発売しました。
 シリンダーレイアウトは前後違うものの、スペンサーが乗っていたNS500と同じ格好の250ccオーバーの2サイクルが出てきたのです。前後してスズキがRG400Γ、500Γを出し、ヤマハがYZRレプリカのRZV500を出したのですね。今では絶対に有り得ないビッグ2サイクルのレプリカが揃ったんです。凄い話ですね。(友人のRG500ΓウォルターウォルフとRZVと3台並べた写真がどうしても見つからない!残念!)

 わたしの職場では早速二台のNS400Rがいました。HONDAトリコロール(赤・白・青)とRothmansカラーが一台ずつです。その頃わたしは、以前書いたFT500に乗っていましたからまるで別世界の人間でした。それから一年半過ぎた頃、そのトリコロールの方のNS400を売るよって言われて・・・すぐに飛びつきました。かなり安かった気がするのですが、いくらで買ったか記憶がありません。
 当時NS400Rはヨーロッパに輸出していました、その輸出仕様は、簡単に言えば形状の違うチャンバー(三本)とキャブセッティング、240kmメーターが付いている位の差でした。国内が59馬力だったのに対して、ユーロ仕様は確か72馬力でした。そしてわたしが手に入れたのはもちろんユーロ仕様です。友人が裏技で(笑)かき集めたイギリス仕様のパーツが組んでありました。メーターはマイルじゃなかったからフランス仕様かな?サイレンサーも抜けの良いタイプで国内仕様が『ケロケロケロ』と乾いたアマガエルのような鳴き声に対して、私のは『ゲンゲロゲンゲロ・ギギギギ』と野太いアズマヒキガエルのような音がしました。後にNS400はサイレンサーでリコールを出したのですが、わたしのユーロ仕様のサイレンサーも交換されてしまいましたね。非常に残念でした。

 パワーの差は歴然で、ある程度の回転から上では『危ない』加速をしました。当時Rothmansカラーの方に乗る友人のとよく乗り比べましたが、国内仕様が低速から非常にトルクが有った(ATACという排気デヴァイスの効果があった)のに対し、私のは下のトルクが細く、上の方でウンギャオー!と吠える非常にラフな性格でした。当時箱根のターンパイクで色違いのNS400でよくつるんで駆け上がっていました。下りは怖いから緩く、登りは元気一杯に駆け上がりました。ところがね、下からパワーの出ている国内仕様のほうがあらゆる場面で速いの、パワーバンドに入ったユーロ仕様はわたしには御せ無いものだったんですよ。奥多摩でとっかえひっかえ乗ってもやはり国内仕様の方が乗りやすく、友人も同じ感想でした。
 若いって凄いんだけど、当時土曜日の夜の第三京浜って凄い賑わいだったでしょ?覚えている方も多いと思うのですが、ありとあらゆるバイクが集まってきてそれはそれは異次元の世界でしたよね?今では改修されてしまって全く違う形になってしまった保土ヶ谷のパーキングですよ。若気の至りでそこにもよく顔を出していたんですね、保土ヶ谷に向かう下りはそこそこのスピードで走って帰りの東京に向かっての走りでいつも最高速チャレンジをしていたんです、今はもうとっくに時効だから書きますが、初めてメーターで200kmオーバーを見たんですね。その時はさすがに国内仕様をちぎりましたよ(いつもつるんでた)。
 そういう走りをすると2サイクルオイルを700kmで1ℓも喰うんですね、もちろん白煙は半端じゃなかったし、燃費は10km/ℓでした。タイヤも5000kmは持たず、チェーンも良く伸びましたねぇ。とにかくお金が掛かるバイクでしたよ。

  
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 その頃奥多摩のとあるコーナーで撮った写真ですが、まぁ上手じゃないことは判る写真ですね。
細かなことは棚に上げて書きますが、当時のフロント16インチはちょっと難しいところがあったじゃないですか、ホンダは始めこの頃はFr16、Rr18で売っていましたが、NSの頃はRrは17インチにしていましたね。
 わたしはリアに当時HRCで売っていたNS250R用のFⅢキットだったかな?のワイドリムのホイールを入れていました。懐かしいデザインのNSコムスターホイールでした。ノーマルのタイヤサイズより太いタイヤが履けるやつでした。太いタイヤが履けるから速く走れる訳でもないのですが、とにかく格好、雰囲気物ですからいいのですよ、そういう時代だったし。
 この写真の最大の見所はBELLのババ・ショバート・レプリカを被っている所ですよ、覚えていますか?ババ・ショバート、当時のAMAのグランドナショナル・チャンピオンですよ!WGPにもNSRで出ていましたが、ラグナセカでクラッシュしてしまい、ライダー生命にピリオドを打ってしまいましたが。で、わたしの最大のこだわりがスペンサーレプリカではなくショバートレプリカ。今は無き上野のD'sで買いました、結構なお値段でした!(笑)。ボディーカラーと全く同じトリコロールなところが自慢でした。
 よく見るとオプションのナックルカバーが付いているのが判ります。なかなかレアなパーツですよ。最後に自慢をすると・・・写っているアンダーカウルのエアスクープ(前輪後方)に10円玉大の黒い点が見えるのですが、フルバンクするとそこを擦るんですよ!(わはは~!)
 

 そんな風に馬鹿な走りをしていると天罰が下るんですね、伊豆で40kmオーバーで捕まり免停30日、講習を受けて翌日から乗り始めたらすぐに昭和通りで30kmオーバーで白バイに検挙され、前歴1の4点で90日免停。伊豆で捕まる前にも細かな違反があったので・・・通算12点に成ってしまいました。簡易裁判所に出頭した記憶もあるのですが・・・もうふやけた脳みそには記憶が残っていません。
 3ヶ月一切バイクにも車にも乗らずに過ごしました。このままじゃ免許が無くなってしまうと泣く泣くNS400Rは手放しました。譲った後輩もその後同じようなことをしていた記憶があります。

 でね、もう速いバイクは絶対にやめようと思って以前書いたYAMAHA SDR200を買ったんですけどね。公道じゃ無理しないようにサーキットを走るようになったんです。もう下の娘も生まれていましたからね・・・ちっとも反省していなかったんですけども。


  
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 何でもっとかっこいい写真が残っていないんだろうか!(かっこ悪かっただけか)
これはローソンレプリカを被っていますね、しかも黒の限定品。1989年に一年だけローソンがNSRに乗ってチャンピオンを取った年ですね、その時に確かSHOEIが出したやつだと記憶しているのですが。まだ家のどこかにあるはずだ。


 
 それでは皆さん本日はこの辺で、ごきげんよう。

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by gambaGX850 | 2014-08-30 05:30 | 思い出のバイク | Comments(14)
2014年 07月 25日

思い出のバイク Z50Zモンキー

思い出のバイクの話、今回はモンキーです。

 バイク好きな男の子はモンキー辺りが入門バイクだった人も多いでしょう、私ははじめて乗ったのはシャリーでしたが、やはりこのエンジンでしたね。GR50を経て中型に乗り始めましたが、セカンドバイクとして手に入れたのは初期型のゴリラでした。その後も古いカブなどを手に入れてこの横型エンジンを楽しんでいました。
 ある時急にモンキーに乗りたくなってモンキーRを買うのですが、そこからモンキー乗りたい衝動が出てしまい古いモンキーを探していました。自分のリアルタイムモンキーは通称『4リットル』モンキーでしたが、うまく探し出せなかったのです・・・そんな時にZ50Zモンキーが有るよって話があり見に行きました。群馬の大きな農家の納屋の中にZ50Zは半分朽ち果てるようにして有りました。見た瞬間にこれは助け出してあげなくてはいけない!という勝手な使命感が出て安くは無い価格で引き取ってきました。

 
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 これが引き取ってきた日のモンキーです。錆がかなりいろんなところに回っていましたね。
写真の向こう側になってしまうのですが、左側の方が錆がひどかったんですよ、何でかなぁと思ったのですが、
実はしまいこまれた納屋の左側に昔ながらのポッタン便所があったんですね、トタンの壁で仕切られていたのですが、やはりその強力な臭気と言うか人糞ケミカルによって腐食されていたんですよ!
 本当にそんなことがあるの?と思うでしょうが、それ以外考えられない左右の錆の違いでした。

 この時点でエンジンは掛かるもののふけあがる事も無くエンジンが掛かっただけめっけもんと言う感じでした。ちょっととんでもないものを買っちゃったかな?と思ったのですが、オリジナルの部品が全て付いているノーマルのZ50Zでしたからやったねと思ったんです。

 早速パーツリストを手に入れ、細かなパーツの発注です。この辺りは以前HONDA関係に勤めていたのでその筋から協力してもらいました。ばらせるところは全てばらすぜとの意気込みでした。
 Z50Zはそれ以前のZ50Aのマイナーチェンジ版で左ハンドブレーキでリアブレーキを掛けていたのを右足のブレーキペダルに変更したモデルですね。通称Z50Zですが、フレームの形式打刻はZ50Aのままでしたね。いわゆるリヂッドモンキーってやつでしょうか。ハンドルが折りたためてレバーをくるくる回すとステムのところからごっそりと前周りが外れるんですよ。アクセルワイヤも洗濯ばさみのようなリンクがあり途中で分割が出来るようになっています。当時は車のトランクに載せてくださいと言うコンセプトでした。工具無しでキャブのフロートチャンバーからガソリンを抜くことが出来、バイクの左側に車載の為のゴム部品が取り付けられるようになっていました。タンクキャップもコックが有り横倒ししてもガソリンが漏らないようになっていました(3枚目の写真で確認できますね)。


 
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 で、結局こんな事に成っちゃうのですが、ここまでするにも大した手間じゃないのがこの時代のモンキーのいいところです。
 エンジンは純正部品(DAX70)のシリンダーとピストンで72ccのお約束チューンにしました、登録もちゃんと黄色ナンバーにしました。DAX70のシリンダーとピストンは6Vの頃はお約束でしたが、みんなそれをやるのでホンダの部品の在庫が無くなってしまってしばらく販売終了になっていた時代も有りましたっけ。またSS50の部品を使い5速にするのもお約束でした。私はそのまま3速のノークラにしていましたが。
 久しぶりにエンジンを開けましたが、長年乗られていなかったせいかスラッジが凄くて驚きました、もしかしたら全然オイル交換をしてもらえなかったのかもしれません、バルブにも石灰のような化合物がこびりついていました。ピストンはきれいだったのでそのまま掃除して今でも私の本棚の上のオブジェに成っています。
 
 ここまでばらして塗装する部品は自分で塗装しました。タンクも何とか二色塗り分けを自分でやりましたが、クリアを厚くしてしまったので時間の経過でクリアにひびが入ってしまいましたよ。その時にタンクの裏側にタンクの製作日の刻印が69/12とあり、1969年12月であることが判りました。また当時のホンダはメインハーネスに製作日の帯テープが巻いてあり、それも昭和44年11月だったような記憶があります。
 また、メッキパーツがほとんど錆で駄目になっていたので部品で取り寄せしました。当時はまだほとんどのメッキ部品が補修パーツで取り寄せることが出来ました、今はどうなっているのか全く判りません。ちっちゃなマフラーや前後のフェンダーも出てきましたね。
 書き忘れましたが、これを手に入れて補修し始めたのが一枚目の写真の中に写っている1998年7月21日ですからもう15年も前なんですねぇ。当時はこのモンキーの部品を200点近く発注しても9割方出てきましたよ。部品代はそれなりに掛かりましたが、補修部品が出てくるのは非常にうれしいことですね。

 
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 二ヵ月半ほど掛かって週末だけの作業で何とか見れる程度にお化粧直しは終わりました。
エンジンがなかなか調子が出なくて時間が掛かりましたが、そこはカブ直系のエンジン、徐々に調子が出てきました。当時の住まいは今より職場に近かったのでこの古いモンキーで裏道ばかりを繋いで通勤していました。ポコポコ言いながらモンキーは健気に走り通勤は楽しいものでした。ちょこっと大通りに出て最高速を試してみても72ccとはいえノーマルのキャブレター/減速比では45km/hがいいところで、かなり怖かったですね。(これもメーターを分解掃除しましたよ)

 このモンキーはいわゆるカスタムはする気が全く無かったのでエンジンを大きくしただけで、フルノーマルで乗っていました。通勤と近所の散歩位でしたが、毎日のように乗っていました。本当に楽しかったのです、また速いモンキーはモンキーRが有ったから乗り分けが出来て遅くても十分楽しかったです。
 免許を取った息子と私の乗るCT110で埋立地にバイク乗りの練習にも行きましたっけ、息子はあまりバイクには興味が出なかったようですが。

 今このZ50Zモンキーはまだ手元に有ります。でも、通勤はメイトに譲ってしまったのでほとんど出番がありません。かわいそうなんですが、仕方ないです。実はこの子は今度来るAT1の下取りとしてお別れすることになっています。ちょっと悲しいのですが、乗らないより誰かに乗ってもらうのが一番いいですから。

 モンキーはどの時代のものでも持っているだけでもうれしいですし、勿論乗れば絶対に楽しいです。今のインジェクションのモンキーが予想外に力があるのに驚きました、タンクの形もこのモンキーに習った形に戻りましたね。実は『クマモンキー』が欲しいなぁと密かに思っているくらいなんですよ。
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by gambaGX850 | 2014-07-25 05:30 | 思い出のバイク | Comments(14)